マルチプル「ムービーメーカー」セッションの感想(KW:遊びを通した共同創造、自由意思の発揮、他者との有機的/主体的な交わり)

先日ムービーメーカーを使ったセッションをさせていただきました。ご依頼内容は、「基本一人でいることの方がいいと思ってしまう。自由意思を発揮するのが苦手なので、主体的に楽しんで周りと関われるようになりたい」というもの。


まずムービーメーカーで見てみると、暗闇の中で「かごめかごめ」している影達と、それを遠巻きに見ているクライアントの姿。と、輪の中心でしゃがみこんでいる姿も同時に見える。「猜疑心」とか「どうすべきか分からず固まっている」と来たのでマイティで解像度上げると、影たちが嘘笑いをやめ、動きを止めてクライアントをじっと刺すように見始めた(実際問題どう、というよりクライアント視点からはそう視えているというのがミソのよう)。輪の外にいても中にいても混ざれない、特にハードルが高いのは手を繋いで輪の一員に加わる事、と来る。


更にマイティをかけると、影の姿が天使に変わり、その輪の中で倒れ込んでいるクライアントの姿。ただこの天使もクライアントがイメージする天使で、実在する姿とはちょっと違う。ニュアンス的に「死の天使」「お迎えのための存在」という感じだったので伝えると、「死=救い」という印象が昔からあったそう。「救い」の定義観点を創造主のそれと一致。「自分を癒すこと」という視点が入った。


ここで過去生を見ると、儀式の生贄となって死んだ村の少女の姿が。村の慣習で白羽の矢が立ち、ほぼ無抵抗で応じたらしい。原因としては、当時は子供でも朝から晩まで働きづくめで、大人の言う事に従って作業するのが当然。遊ぶ暇も大してないし、遊んでても自由意思を発揮できてないから楽しくない、と思っていた事にあったらしい。当時の課題としては、そうした中でも小さな遊びを通して自由意思を発揮する事を学ぶのが重要だったそう。またその村から抜け出す、という選択肢もあったんだという事に気づかれたようでした。


また周りの大人や両親が「自分を捧げるのを由とした」と当時感じていて、それが他者全般への不信感に繋がっていたのも見える。マルチプル初級の「孤独や飢えの記憶を解放〜」のプログラム等をかけると、村人も「ずっと受け継がれてきた村の慣習で、それ以外の方法を知らない」、両親も「大人の言うことに従って行動できる事が村で生き延びる事につながる」という思惑があったのが分かった。悪意100%で生贄を由とした、という訳では無かったらしい。


とかく「遊ぶ」という感覚がキーだと感じたので、まず創造主の定義観点からの「遊び」、続けて「遊びを通して共同創造できる」感覚をダウンロード。更にそれを実現できている人の集合知ノウハウをダウンロード。当時の子供達の遊びの集合知(わらべ唄、鬼ごっことか)が入った。この時まで「共同創造=辛い」というイメージがあったそうです。


自己信頼感が増すにつれて風景が明るくなり、輪の中からすっと立ち上がる過去生の姿。自分を囲んでた大人たちも消失し(自己不信感から必要以上に大きい存在に見えてたっぽい)、この辺からフィルムを希望の方向に修正可能に。どうしたいですか?と聞くと「踊りがいい、社交ダンスみたいに阿吽の呼吸で相手と共に踊る感じがいい」というのでフィルムにマイティ。踊る、はいい感じだけど社交ダンス風だとしんどそう…。


理由を見ると、「型」が優位で相手に100%の主体性でもって合わせていく、という感じが現時点では合わない、と来た。やはり「楽しい・遊ぶ」というステップが必須なよう。「マイムマイム系はどうですか?」と提案したところ、そっちの方が今のご自身に無理なく楽しそうだという事で快諾してくださり、それで修正。程よく自由で、踊る人の個性が自然に現れて、皆心から笑ってる!更に希望を聞くと、その村人だけでなくもっと色々な人が入り混じってる方が良い、との事でさらに修正。よその村から「混ぜてくれー」と大勢が飛び込んでくる…をぉ…。


印象的だったのは「皆それなりに、輪に入れてもらえるか心配しながらも試行錯誤して互いに付き合っている」というのが見えたこと。だからこそ共感力で持って、外から人が来たときでも迎え入れてあげる事ができるんだよ、というのが大切な気付きだったっぽい。


更にバリエーション持たせたいとの希望。村の中で複数マイムマイムの輪があって、そこに好きなタイミングでジョインできるよう修正した。ただ自分だけだと飛び込むのも難しそうなので、参加者全員が銘々好きなタイミングで移動できるように変更。皆自由なタイミングで行きたい場所に言って楽しんでいる。呼吸を合わせる事も離れる事も自由で、有機的なつながりが生まれた感じというか…。これでOKいただいたので再展開!


メッセージが2つほど。実社会だと、とかく嘘や欺瞞で人間関係成り立っていると思いがちだけど、思いやりや楽しさで輪を形成している人たちも一定数いるんだよ、が一つ。またちょっとした立ち話も実は「共同創造」の一環であり、そこでのグルーヴ感や一期一会を楽しんで乗っかる事ができるようになるよ、というのが来た。冒頭の疎外感覚えてカチコチに固まっている感じとは対照的だ〜。


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今回は特にスタートからゴールまで綺麗に展開された印象でした。過去生の村の儀式が起点となっていた今回のイシューですが、それがかごめかごめとマイムマイムで表現されていたのも興味深かったし(両方儀式めいているけどノリは対照的!)。プログラム優秀。あと気づいたのは、最初からイシューの元である過去生の出来事を最初に映さず、冒頭でクライアント視点をある程度抽象化して映像にしてくれたのがポイントだったこと。問題解消するだけなら過去生から入ればいい訳ですが、恐らく「ご自身の視点でこう見えている」というのを明らかにするのが重要だったんだと思います。だから最後の2つのメッセージに繋がったんだろうし。


またヒアリング⇔フィルム修正のやりとりにおいてクライアントさんがとても楽しそうだったのも印象的でした。私もアイディア出しの面で協力できた実感があり、これも「楽しく遊びながら共同創造する」のモデルだったんだなぁと今気づいた!何と抜かりない。。


私としてもイマジネーション遺憾無く発揮できて、やりがいあるセッションでした。ありがとうございました!

そしてムービーメーカー、らぶ。

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